堺市 富田林市 清水まりこピアノ教室 プロフィール

ピアノの天才が従姉妹

福岡で生まれ、兄弟の姉として育つ

父は広告代理店

母は専業主婦

厳しい両親だった

 

従姉妹にピアノの天才がいた

中野真帆子さん

https://profile.ameba.jp/ameba/marimarimama3405

 

10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。

これを見ておもちゃのピアノで真似していた。

そんな様子を見て、3歳で近所のヤマハのグループレッスンへ

 

ピアノの先生になりたい!

その後6人のピアノの先生に出会うが

その先生も素晴らしく良くしてくださった。

ピアノの先生になりたい!

そんな憧れができる

譜読みをコツコツするタイプだった。

ブロックが好きで、しかもきっちりを積み上げていくことに快感を感じていた

 

初めのピアノ先生は3歳~8歳までならう

引っ越しがあって先生が変わる

その次の先生には1年半

 

大阪の子が怖い!

小5年生福岡から大阪へ

大阪府和泉市立光明台南小学校

訛りや言葉が通じなかったためにいじめられた。

大阪の子が怖かった

みんな口が達者だった。

「どつくぞ」

と言われて意味がわからなくて黙っていたら

本当にどつかれた。

あとは仲間はずれにされたり、

色が白かったので外人と呼ばれたり。

それは中学まで続いた。

学年1クラス50人だったので

 

クラス替えってものがなく、なかなかいじめのループから抜け出せれなかった

 

リチャードクレーダーマン

リチャードクレーダーマンが流行っていう頃でよくそれを弾いていた。

ピアノを弾くことが唯一の楽しみだった。

ただ練習をサボっていると

『お姉ちゃん(真帆子さん)は毎日8時間も練習しているだって』

私はいささかのんびりしたところがあって

そういわれたら

どうやって8時間も時間を作れるのか?

などと計算していた。

 

コツコツ型

光明台中学に入り

部活には入らなかった。

勉強もコツコツ頑張り100人中10番以内

結構コツコツしてた。

計画をするのが大好き

ピアノの練習も細かく区切って確実に弾けるようにして行った。

 

褒め上手な先生

5年生から中1まで見てくれた新木先生は褒め上手

新木先生は私の演奏が終わった後に

『すっごくよかったからまた聞かせてくれない?』

その時はソナチネを習っていた

そんなん言われたのは初めてだったので

すっごい嬉しかった

この頃から音大を目指そうと決意する

2~3時間練習するようになる

 

バラ色の高校生活

入った高校は自由な雰囲気で今までいじめられていた自分にとっては天国のようだった

クラスは12クラスもあり、とても仲よかった。

・周りの子が優しい。

・友人がいっぱいできた

・音楽の先生が素敵な先生だった

 

・同じ学年で音大を希望する子が10人もいたのは心強かった

 

音楽仲間

音楽の紀ノ定先生がとても協力してくれて

その子たちと引き合い会をしたり

ソルフェージュだったり

個人的に演奏会に連れて行ってくれたりした

なんとこの先生、かつての小学校の音楽の先生だった

すごいご縁を感じた

 

大阪芸術大学音楽教育

練習の甲斐があって大阪芸術大学音楽教育に合格する

毎日音楽の勉強

他の芸術分野、美術や写真などの学生さんとも仲良くなれ楽しかった。

ただ箱入り娘で門限なども厳しく、合コンに参加できなかった

高校の時についた先生に大学も師事。

 

周りが毎晩ディスコに行くような派手な時代だった。

自分もバイトするなどして楽しんだ

 

カワイ音楽教室就職

卒業後カワイ音楽教室の講師になる。

月間50人を教えるように。

同時に自宅でもピアノ教室を主宰。

生徒は20人に増える

忙しかったが充実した毎日。

ハンドベルにハマる。

その結果、新人講師の研修担当になる

 

経済的危機

28歳で退職、翌年結婚する。

子供も二人授かり、仕事と子育てに追われる。

34歳の時に経済的危機に見舞われる。

娘たちはまだ幼く1歳と3歳

このままではいけないと奮起

 

ピアノ教室を頑張ろうと決めた

 

鬱発症

35歳、娘が幼稚園に入学してしばらくして、体の変調を覚える

めまいに襲われ、その後鬱と診断される。

レッスンは休まざるをおえなかった。

 

清水先生しかいない

そのどん底から立ち直らせてくれたきっかけを作ってくれたのが・・・

2年生の男子生徒さんがお母さんとお見舞いにきてくれた。

私はでれずに母が対応。

声のみ聞こえた。

『僕には清水先生しか、先生は考えなれないから・・・早くよくなってください』

 

負けない!

その言葉が嬉しく嬉しく、ここで負けてはダメだ

早く元気になろう!と誓った。

効かなかった薬がだんだん聴き始め、徐々に回復していく。

 

近所で評判に

その子のお母さんは歯医者で勤務されていて、

私のことを話題にしてくれていた。

その歯医者になんと昔の生徒が務めていて、私のことを覚えていてくれた。

『優しくて面倒見のいい先生だったよね。』と言ってくれたらしい。

また高校時代の音楽の先生から生徒を預かることになり

『あなただったら大丈夫』と言われたことも嬉しく

そうした周りからのメッセージがどんどん私を元気にさせた。

37歳の時には完治する

娘が原因不明の病気に

39歳の時に長女が原因不明の病気にかかる

朝が起きれなくなる。

しんどいと学校を休みがちになり、そのうち学校にいけなくなる

2年生の時だった。

周り親切に色々助言してくれたが、結構それが辛くてどんどん自分の殻に閉じ思って言った。

2年後まさか下の子も同じような症状で起き上がれなくなる

 

 

 

起立性調節障害

まだ聴きなれないこの病名にであったのは、娘たちの病気を色々調べている中でだった。

命に別状はないが、普通は思春期に発病するケースが多い

朝が一番ダメで、夕方から夜には元気になる

不思議な病気

 

いじめ

下の子が4年生の時にいじめにあう

男の子にからかわれたり

ところが当時の先生は見て見ぬ振り・・・

娘はすっかり人間不信に。。。

いっときは家族全員でこもるように・・・

 

お母さんこそ自分の人生を

これではいけないと、起立性調節障害のお母さんたちが集まる交流会に参加するようになる。

カウンセラーの方が

『子供が病気なのは大変だけれど、お母さんの人生はお母さんのもの。

お母さんがしっかり自分の人生を歩むことも大事。』

この言葉感動し、セミナーに行き始まる

 

スキルアップ

・アドラー心理学をベースとした子供の勇気付け講座

・時間管理術

・自分軸を持つ講座

心の持ち方を学び始める

2018年、カウンセラー養成講座初級終了